「ネフローゼ症候群」と最期まで闘ったプロ棋士
臨床工学技士を目指す学生なら必ず勉強する「ネフローゼ症候群」。
今回は、そんなネフローゼ症候群と闘いながら、将棋の名人を目指した村山聖(むらやま さとし)さんをご紹介しつつ、ネフローゼ症候群について勉強していきたいと思います。
たまたま読んでいた小学生向け雑誌「しゃかぽん」が村山さんのことを紹介しており、ネフローゼ症候群にかかっていたという情報もあったので、取り上げてみました。
1.村山聖さんのプロフィール
2.村山聖さんの一生
広島で生まれた村山聖さんがネフローゼ症候群にかかったのは、わずか5歳の時でした。
ネフローゼ症候群は小児で発症するパターンが多いのです。
標準的な治療を一定期間行なっても、病状が改善しないネフローゼ症候群は「難病」に指定されています。
入院中に将棋と出会い、朝から晩まで将棋に没頭するようになります。
そして1986年11月5日、17歳のときに晴れてプロ棋士となりました。
将棋以外の衣食住には無頓着で、ネフローゼ症候群の症状である浮腫で独特な風貌だった村山さんは、「不潔だ」と言われるようになり、「怪童丸」という異称もつくようになりました。
生前の村山聖さん>>>生前の村山聖。 [画像ギャラリー 4/4] - 映画ナタリー
ネフローゼ症候群では、糸球体の濾過機能が悪くなり、アルブミンなどのタンパク質がたくさん濾過されてしまいます。
その結果、血液中のタンパク質が少なくなり(低タンパク血症)、尿にタンパク質が多く含まれるタンパク尿が出るようになるのです。
ちなみに、成人のネフローゼ症候群の診断基準は
と決められています。
血管に水分を保っておく力(膠質浸透圧)を担うアルブミンが血液中からなくなると、血管の外、組織へと水分がどんどん出て行ってしまいます。
そして、顔や手足がむくんでしまうのです。
それでも「名人になりたい」という夢をずっと抱いてきた村山さんは、世間の声に負けずに努力を重ね、「東の羽生、西の村山」と言われるまでになりました。
その後膀胱がんにかかり、将棋を続けながら病と闘ってきましたが、1998年8月8日に29歳で亡くなりました。
病と闘いながら生涯を将棋に捧げた村山さんの一生は、2017年に映画にもなりました。